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  • 執筆者の写真うらのりょうた

青森県40市町村36時間で制覇せよ

更新日:2023年7月3日

私にとっては記念すべき47都道府県制覇の地である青森県。今回は県内全40市町村のイッキ制覇に挑戦。私に与えられた時間は午前8時から翌20時までの32時間。その間に先輩のご実家に挨拶に上がるというミッションもあります。果たして、無事に帰れることができるのか、そして、全市町村制覇を達成することができるのでしょうか。各市町村の魅力をダイジェストで紹介しながら進めて参ります。




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まずは1718景で度々お世話になっているニコニコレンタカーの弘前外崎店でトヨタ・パッソをレンタル。今回は冬の青森県ということでスタッドレスタイヤの4WDにしました。初日は弘前市を出発し、青森県西部、津軽地方を攻め、先輩のご実家がある五所川原市を目指します。


平川が流れる平川市、大鰐温泉がある大鰐町を経て、弘前市の弘前城に立ち寄り、虹のマートで「いがめんち」を食べた後、最初に向かったのは白神山地に抱かれた西目屋村(にしめやむら)の「道の駅津軽白神」。


青森県西部は津軽平野が広がり山が少なく、意外なほどに満遍なく栄えてる印象です。その中でも、西目屋村は面積の9割を林野が占める山峡の村で、結果的に、初日では1番行きにくかったまちかもしれません。


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西目屋村から弘前市に引き返し、次に向かった田舎館村(いなかだてむら)。「田舎」「村」というものの、弘前市や平川市、黒石市など津軽平野の主要な市と面しており、村感は強くありません。国道102号やJRに加えて私鉄(弘南鉄道)まで通っています。


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「田んぼアート」が有名で、シーズンになると村役場や「道の駅いなかだて 弥生の里」の展望台から鑑賞できます。村役場はお城のような外観でビックリ。道の駅にはJRAウインズも隣接しており、とても田舎とは思えません。


田舎館村総合案内所「遊稲の館」では「CHAWONDER(チャワンダー)」という芸術作品を鑑賞できます。


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黒石市(くろいしし)の「中町こみせ通り」は青森県で1番見たかったまちなみです。


江戸時代の伝統的建造物とアーケードが当時の姿のまま残されている「中町こみせ通り」は全国的にも類例がありません。


まさにアーケードの元祖といえるような存在です。では、なぜ何百年も前の黒石市にアーケードが整備されたのでしょうか。それは、日差しや青森県の厳しい冬の吹雪から黒石を訪れる人を守るための商人の人情。


クルマを停めてまちを散策していると、軽自動車に乗った女性が私の横でクルマを停めました。「すみません、どうされましたか」と尋ねると、「違うの違うの謝らなくていいの!半ドアだったから!」とわざわざ私のクルマが半ドアだったことに気付いて教えにきてくださったようです。アーケードの木のぬくもりと人のぬくもりも感じるまちでした。


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青森県といえばリンゴ。リンゴといえば青森県。中でも人気の品種である「ふじ」「サンふじ」の名前の由来になったまちが藤崎町(ふじさきまち)です。


町内には平川が流れ、「白鳥ふれあい公園」には白鳥が飛来します。この日も飛来していましたが、iPhoneのカメラでは上手く捉えることができませんでした。


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平川が岩木川に合流したあたりに位置する板柳町(いたやなまち)は岩木川の水運で栄えました。


「岩木川ふれあい公園」などが整備されており、町民の憩いの場となっています。


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津軽富士の愛称で親しまれる岩木山を望むことから、「津軽富士見湖」と称される鶴田町(つるたまち)の「廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)」。1660年に築かれたため池で、長い歴史がありながら県内最大の貯水湖にして、堤防は4.2㌔と日本最長。


湖に架かる「鶴の舞橋」は日本一長い木の橋であり、絶景スポットだけではなく、長寿の橋としてパワースポットにもなっています。


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青森県の最西端に位置する深浦町(ふかうらまち)。日本海に面し、白神山地に代表される山々が海岸線まで迫っていることから景勝地が点在します。海側のオススメは地震で隆起した「千畳敷」、冬になると千畳敷駅のホームにできる「氷のカーテン」、日本海を一望できる「不老不死温泉」。山側のオススメは青池などの「十二湖(じゅうにこ)」、岩肌がむき出しとなった「日本キャニオン」などが挙げられます。


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日本海に面する鰺ヶ沢町(あじがさわまち)の特産品は「イカ」。ズラリとイカが干された「焼きイカ通り」の「イカのカーテン」は圧巻です。


1300

つがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」は目が遮光器(スノーゴーグル)のような形をしている「遮光器土偶」が発掘され、国の史跡となっています。


JR木造(きづくり)駅には巨大な遮光器土偶が張り付いており、「シャコちゃん」の愛称で親しまれています。ちょっと怖い。


1410

津軽半島は五所川原市、中泊町、外ケ浜町と3つもの自治体が飛び地になっています。中泊町(なかどまりまち)の旧中里町は「十三湖(じゅうさんこ)」に面したまちで、シジミが特産品。関西人なら「じゅうそう」と逆に難読で呼んでしまう現象が起きてしまいます。


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今別町(いまべつまち)には本州と北海道を結ぶ青函トンネルの入り口があり、「青函トンネル入口広場」では新幹線がダイナミックに姿を現す、あるいは吸い込まれる瞬間を観ることができます。私は2分だけ間に合わず観ることができませんでした。


町内の「奥津軽いまべつ駅」は1日たったの約60人と乗車人数が最も少ない新幹線駅です。


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長い旅路を経てついにやってきた外ヶ浜町(そとがはままち)。ここは津軽半島の最北端、龍飛崎(たっぴざき)があるまちです。


演歌歌手・石川さゆりさんの名曲「津軽海峡・冬景色」の舞台となった地で、歌碑が建てられています。赤いボタンを押すと爆音で曲が流れるのでご注意ください。


津軽海峡の海底で青森県と北海道を結ぶ青函トンネルが通っており、「道の駅 みんまや(漢字では三厩と書きます)」には「青函トンネル記念館」が隣接。記念館は反対側の北海道福島町にもあります。


国道339号には日本唯一の「階段国道」があります。


さよなら津軽海峡、私は帰ります。ここから再び津軽半島を南下し、県都・青森市を目指します。


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青森市の北西に位置する蓬田村(よもぎたむら)。村民憲章の冒頭には「きびしい自然にうちかった先祖の不屈の精神を受けつぎ」とあります。ヤマセの影響による冷害に幾度となく苦しめられた歴史を持ち、1993年の皆無作では農家に甚大な被害が出たそう。


青森市に面するものの交通網も脆弱で、昔は約20㌔の道のりを歩いたそうですが、今は国道のJRが村を南北に貫いています。


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県央に突き出た夏泊(なつどまり)半島と県西の津軽半島の間の青森湾に面する県都・青森市(あおもりし)。


江戸時代から弘前藩最大の港町、本州と北海道を結ぶ交通の要衝として栄えました。市名は漁師が陸地の「青い森」を目指して帰港したことに由来。廃藩置県により弘前県となりましたが、前述したような立地の良さから青森市に県庁が移り、青森県となりました。


現在でも交通の要衝であり、太平洋側の国道4号、東北自動車道、青い森鉄道(かつてはJR東北本線)、日本海側の国道7号、JR奥羽本線などの終着点であり、青函連絡船が本州と北海道を結ぶなど、「すべての道は青森に通ず」と言っても過言ではない状況。全国的に珍しい市営バスも走ります。


「青森県観光物産館アスパム」「青森ベイブリッジ」「ねぶたの家 ワ・ラッセ」「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」などが立ち並ぶ「青森ウォーターフロント」、青森駅から「しんまち商店街」「さくら野百貨店」などがある「新町通り」などまちなみも想像以上に都会的。


まちの中心地以外にも、「三内丸山遺跡」「八甲田山」など見どころは盛りだくさん。


名物はのっけ丼。


1855

8時から11時間にわたってクルマを走らせ続け、夜の19時に初日の目的地である五所川原市に到着。総走行距離は362.7キロでした。五所川原市は「青森3大ねぶた」の1つである「立佞武多(たちねぷた)」で知られるまちです。先輩のご両親の説明によると、「ねぶたはその名の通り寝かせている、特に青森市内は都会で電線も多いので背は低いけど、道幅が広いので幅も広い。立佞武多は高さ20㍍、ビルにして5〜6階相当だから迫力が違う」とのことでした。


また、小説家・太宰治の出身地であり、市内には生家の「斜陽館」があります。


先輩のご両親には大変お世話になりました。しっかり英気を養って2日目に備えます。


0330

おはようございます。午前3時30分の青森県五所川原市です。「青森県全40市町村36時間で制覇せよ」の2日目を迎えました。2日目は青森県東部、南部地域を中心に攻め、夜の8時までに弘前市でレンタカーを返却しなければなりません。果たして、無事に帰れることができるのか、そして、全市町村制覇を達成することができるのでしょうか。本日も各市町村の魅力をダイジェストで紹介しながら進めて参ります。


夜の間に雪が降ったようで、クルマにも少し雪が積もっていたので安全運転で参ります。


朝食は先輩のお母さんがつくってくださりました。本当にありがとうございます。本日、食事の目標はまず大間町でマグロを食べたい。そして、青森県出身の知人2人に調査してどちらからも名前が出てきた「八食センター」という謎の場所。最後は弘前市で晩御飯を食べることができたらと思います。


0450

平内町(ひらないまち)は養殖ホタテの生産量は日本一。まちに入るなり「ほたて大橋」「ほたて広場」などホタテを冠するスポットが次々に現れます。


平内町のホタテは生はもちろん、煮たり焼いたりしても本当に美味しいので是非食べてみてください。


0520

江戸時代、野辺地町(のへじまち)の野辺地湊は盛岡藩有数の商港として多くの北前船が寄港し、にぎわいました。


「浜町の常夜燈」は夜間に航行する船が安全に出入りできるよう、1827年に建てられた現存日本最古の常夜灯です。現在は常夜燈公園として整備され、まちのシンボルとなっています。夜訪れると真っ暗闇で、その面影がなかったことがちょっぴり残念でした。


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横浜は横浜市だけじゃない!


横浜町(よこはままち)は菜の花畑の作付け面積が全国トップクラス。北海道滝川市と1位を争っています。菜の花でまちおこしをしており、毎年5月頃に菜の花フェスティバルが開催されるほか、「道の駅よこはま」には菜の花プラザという愛称があります。


ゲーム『桃太郎電鉄』では「菜の花駅」が登場。実際に横浜町内を通るJR大湊線にそのような駅は存在しないのですが、陸奥横浜駅と横浜駅の混同を避ける等の理由で「菜の花駅」になったと考えられます。


0630

この日の日の出は6時13分。むつ市(むつし)に入るとかなり空が明るくなってきました。


青森県東北部の陸奥湾に面し、下北半島の中心都市で、本州最北の市です。


大湊(おおみなと)は軍港として栄え、現在も海上自衛隊の基地が立地。港には軍艦が停泊していました。JR大湊線の終着駅でもあります。


むつ市の前身は1959年に大湊町と田名部町が合併して誕生した大湊田名部市(おおみなとたなぶし)。漢字で5文字は日本一長い市名で、ひらがな8文字も当時日本最長でした。


長い市名が不評だったのか、翌年の1960年には大湊田名部市からむつ市に改称しています。こちらは日本で初めてのひらがな市名でした。


「恐山」は日本3大霊場の1つで多くの観光客が訪れますが、冬は閉山。


釜臥山(かまふせやま)にはスキー場があります。


佐井村方面へ進んでいくとどんどん山深くなり、水墨画のような美しい雪景色に。「かわうち湖」は本州最北のダム湖で、「道の駅 かわうち湖」は本州最北の道の駅。


0730

下北半島、別名まさかり半島の刃の部分に位置する佐井村(さいむら)。


青森県で訪れるのに1番苦労したまちです。最寄りの市であるむつ市からでも反時計回りで約60㌔で1時間20分、時計回りで約83㌔で1時間49分かかります。青森県の中心都市である青森市や八戸市からは3時間以上かかります。


それでも訪れたい景勝地が佐井村にはあります。それが「仏ヶ浦」。海底火山の噴火と地層の隆起で生まれた奇岩が連なる光景は名称の通り極楽浄土を思わせ、この世のものと思えない光景が広がっています。


ちなみに、青森市からフェリーを使うと2時間20分で行くことができるという"裏技"もあります。


1つの市町村移動するのに1時間以上かかっています。


0845

大間町(おおままち)で水揚げされる「大間マグロ」は全国的にも有名なブランド。


大間で食べたマグロにはビックリしました。これほど美味しいマグロは食べたことがありません。大トロや中トロはもちろん美味しいのですが、赤身がめちゃくちゃ美味しい。脂が乗っていて濃厚で口の中でトロけていき、「口の中でトロける赤身があるのか。こんなに美味しい赤身があるのか」と衝撃を覚えました。


「大間崎」は本州最北端の地。マグロ一本釣のモニュメントがあります。お土産は「大間観光土産センター」でどうぞ。


0945

3つの村が集まる下北半島北部。中でも半島風間浦村(かざまうらむら)は本州最北の村です。


漁業と、「下風呂(しもふろ)温泉」による観光業が盛んです。


「工事車両マナーチェック中」と書かれた小さな小屋が点在。中には私服の女性が。見慣れない光景に驚きましたが、どうやら、大間町の大間原子力発電所建設に携わる工事車両がマナー違反をしていないか監視しているようです。大間町だけではなく、周辺自治体である風間浦村、佐井村も含めて地元の理解を深め、雇用を創出しています。


1025

下北半島東部の東通村(ひがしどおりむら)に位置する「猿ヶ森砂丘」は、鳥取砂丘の影に隠れてあまり知られていませんが日本最大級の砂丘。南北17㌔にもわたり、その面積は約3倍ともいわれています。知名度が低い理由は防衛省の下北試験場(弾道試験場)として利用されており、許可がなければ立ち入ることができず観光地化されていないから。


むつ市との境にある「早掛沼(はやかけぬま)公園」は桜の時期ににぎわいます。


1120

六ヶ所村(ろっかしょむら)は日本有数のエネルギー関連施設の集積地です。


まずは、緊急時に備えた国家石油備蓄基地。


次に、やませを利用した風力発電基地。


そして、燃料サイクル施設である「六ヶ所再処理工場」に代表される原子力施設です。


原子力発電で使い終えた燃料を再利用する施設として1993年に着工したものの、技術的な障壁もありトラブルが後を絶たず、未だに完成していません。 2022年12月には26度目となる完成延期を発表。詳しくは「六ヶ所原燃PRセンター」で学ぶことができます。


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一戸〜九戸まである(四戸のみない)自治体の1つである七戸町(しちのへまち)。


一戸〜九戸の中で最北に位置します。


岩手県の一戸町、二戸市、青森県の三戸町、五戸町、六戸町と同じく国道4号が、二戸市、八戸市と同じく東北新幹線の駅があるなど青森県の主要交通網が町内を通ります。


古くは七戸城の城下町として栄え、まちの中心部には高瀬川が流れます。


1220

東北町(とうほくまち) は甲地村(かっちむら)が1963年に町制施行して誕生しました。


町名の由来は謎で、地理的にも経済的にも東北の中心都市と言うには無理があります。


しかしながら、1949年には町内で「日本中央」と刻まれていた石碑が見つかっています。中央政府の手が及ばない時代、東北地方は「日本」と呼ばれていました。


汽水湖の「小川原湖(おがわらこ)」は日本で11番目に大きな湖で、漁業が盛んなほか、レジャー客で賑います。


1230

青森県には2つの空港があります。1つは青森市の青森空港。そして、もう1つが三沢市(みさわし)の三沢空港です。


全国的にも珍しい民間航空会社、自衛隊、米軍の三者が共同で使用する空港。


三沢市の人口は約4万人ですが、それとは別に米軍関係の人が約1万人も住んでいるので、実質5万人近いひとが住んでおり、約20%が米国人ということになります。かなりの割合です。


航空祭やアメリカンデーが開催されたり、航空科学館があるなど、飛行機や米軍の存在が三沢市の特色となっています。Googleマップで国道が英語表記になるのは米軍と関係があるのでしょうか。


1240

一戸〜九戸まである(四戸のみない)自治体の1つである六戸町(ろくのへまち)。


三沢市との境にある星野リゾート「青森屋」は祭りや郷土料理など青森文化を体感できる宿です。


1250

おいらせ町(おいらせちょう)のいちょう公園には国内最大級の大きさを誇る「日本一の自由の女神像」があります。


設置の経緯は自由の女神が位置するニューヨークと同じ北緯40度40分だったことで、1990年にふるさと創生資金を活用して建設されました。


サイズは20.8㍍(本体11.5㍍、台座9.3㍍)で本家の約4分の1ですが、有名な東京・お台場の自由の女神(12.25㍍)よりはかなり大きいです。


1310

青森市、弘前市とともに青森県3大都市の一角を成す八戸市(はちのへし)。


青森県最大の港町で、東北地方の中でも宮城県の仙台塩釜港の次ぐ規模となっています。ウニやアワビの吸い物である「いちご煮」などの海鮮料理はもちろん、南部せんべいを使った「せんべい汁」など独自の食文化が発達しており、B-1グランプリ発祥の地でもあります。炊き込みご飯のような豊かな香り


ご当地グルメを食べる上で、八戸市出身や十和田市出身の知人に薦められたのが市場「八食センター」。「みなと食堂」もオススメです。


1440

青森県の南東に位置する階上町(はしかみちょう)。


隣接する八戸市のベッドタウンとして、また八戸工業大学の学生街として発展しています。


太平洋と階上岳に挟まれた自然豊かなまち。


1520

南部町(なんぶちょう)は現在の青森県東部や岩手県にあたる場所を治めた南部藩(盛岡藩)発祥の地。


まちの中心部には東北の大動脈である国道4号やかつてのJR東北本線である青い森鉄道が通り、馬淵川が流れます。


三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村で構成される三戸郡の中で最も人口が多いまち。


大手チェーンや競艇場外舟券売所である「ボートピアなんぶ」など国道4号に沿って栄えていました。


1540

一戸〜九戸まである(四戸のみない)自治体の1つである三戸町(さんのへまち)。


三戸城の城下町として栄え、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村で構成される三戸郡の中心都市として機能しています。


私は急坂をクルマで駆け上がり三戸城の本丸を目指しました。どんどん道が狭くなり、右をみれば崖っぷち。しかも、残雪によりタイヤが滑ります。何度もヒヤッとしながらも、クルマを降りては周囲を確認しつつ、最後は高さ約30㌢の雪の段差を乗り越えて何とか駐車場に。どうやら裏口から入ってしまったようです。迂回を促す看板を立てるか、道をもう少し整備してほしい!と思いましたが、本丸付近からの眺めは素晴らしく、城を復元した資料館も雰囲気がありました。


『11ぴきのねこ』の著書である馬場のぼるさんの出身地で、まちの至るところに銅像などが建てられています。


1605

ニンニクの一大生産地であり、「ニンニクの町」を掲げる田子町(たっこまち)。


県道143号を北上している際、クルマの外からニンニクの匂いがしてきました。本当かと疑われるかもしれませんが、ニンニク特有の食欲をそそる匂いです。料理せずともニンニクは匂いを放つのでしょうか。詳しい方のご意見お待ちしております。


この日は雪雨が降ったり止んだりとどんよりとした天気でしたが、田子町に入った瞬間に光が差し、まちの大動脈である国道104号に照り返してニンニクを運ぶ?軽トラが神々しく見えました。


また、近くに見えた富士山のような山、遠くに見えた八甲田山のような山の存在も気になります。


1630

青森県にキリストの墓にピラミッド!?


イエス・キリストは21歳の時に来日し、神学修行を重ね、ユダヤに戻って伝道を行った末に日本に戻り、新郷村(しんごうむら)で106歳の天寿を全うしたとかしてないとか。


新郷村にはキリストの墓やピラミッドが残っています。しっかり標識やバス停もあるのでビックリ。


宗教家である竹内巨麿の主張に村おこしをしたい人々が乗っかって現在に至るようですが、まだまだ多くの謎に包まれています。


キリストの墓に行ってみると、「キリストの里伝承館」は雪に埋もれていました。駐車場からは220㍍ほど。坂の上にありますが、こちらも雪に埋もれており、登るのに苦労しました。上に行くと、まさかの日本人の墓が。さらに奥に進むと教会のような建物があり、右手にキリストの墓が2基向かい合うように建っています。いつ誰が何のために建てたのか謎は深まるばかりでした。


1650

一戸〜九戸まである(四戸のみない)自治体の1つである五戸町(ごのへまち)。


南部藩の代官所が置かれるなど栄え、三戸町とともに三戸郡に含まれます。


古くからの馬産地で、基幹産業は農業です。


美しい田園風景が広がると同時に坂が多く、「坂のまち」と呼ばれるそう。


1705

青森市、弘前市、八戸市の青森3大都市に次ぐ規模を誇り、青森県東部の中央部にあたる上北地方の中心都市である十和田市(とわだし)。


十和田湖周辺は国立公園となっており、景勝地が数多くあります。秋田県小坂町とまたがる十和田湖は日本3位となる326.8㍍もの水深が特徴。東には奥入瀬(おいらせ)川の奥入瀬渓流、北には八甲田山があります。


「スタミナ源たれ」を製造する上北農産加工の本社があります。青森県内で一番使われている焼き肉のタレであり、一家に一本は当たり前。


名物は玉ねぎとバラ肉を甘辛いタレで炒めた「十和田バラ焼き」(発祥はお隣の三沢市)。


湖畔で日が落ちたばかりの空を見上げると眩い光を放つ星が2つ。調べてみると、この日は1番明るい金星(別名・宵の明星)と2番目に明るい木星が西の空で大接近。月1つ分くらいの間隔まで近づいたそう。次に夕方に同じような条件が訪れるのは2064年とのことで、大自然の中で自然の神秘を感じました。


1955

ここから、対向車もやってこない闇夜の雪山を越えるという試練を乗り越え、19時55分に無事レンタカーを返却。総走行距離は1026.9㌔でした。ここから、夜の弘前を散策します。

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